2010年1月10日再開設。
現在海外赴任中。
普段の生活や会社生活で思いついたことなどを書いていきます。
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多くの人が考える理想の社会というのは、全ての人が何の利害対決もなく、皆が平和に過ごしている社会を言うのではないでしょうか。
よく宗教などにおいても、こういった社会が理想の社会として描かれているような気がします。
よく宗教などにおいても、こういった社会が理想の社会として描かれているような気がします。
しかし、現実的にはそういった社会が存在することはほとんど不可能であるように思えます。(もっとも、だからこそ理想の社会として描かれているのかもしれませんが…)
人間はそれぞれの人が大なり小なり異なる考えを持っており、そのどれかを尊重すれば、それとは違うどれかが軽視されることになってしまうものです。
これは人間社会全体といった大きな集団に限った事ではありません。会社の中のある組織といった小さな集団においてさえ、全ての人が共通の価値観を持つことは難しいものです。例えば立場が違ったりすると(例えば上司とその部下など)、その価値観は大きく異なったりします。
結局こういった環境で集団として機能していくためにはそれぞれの人がある程度妥協して、これならある程度満足できるといった共通の価値観を試行錯誤しながら作っていくしかありません。
しかし、これは全ての人が均等なパワーバランスを持っているときにのみ可能なことです。通常は往々にして立場の違いなどからそのバランスが崩れ、力を持つ人の考えが全体を支配してしまいがちです。
自分は現実的な理想の社会というのは皆がある程度妥協することにより、他の人の考えを尊重する社会だと思っていますが、やはりそのパワーバランスを保っていくことは非常に難しいものです。しかし、それをいかにできるかがその組織を束ねるリーダーの能力ではないかと思っています。
人間はそれぞれの人が大なり小なり異なる考えを持っており、そのどれかを尊重すれば、それとは違うどれかが軽視されることになってしまうものです。
これは人間社会全体といった大きな集団に限った事ではありません。会社の中のある組織といった小さな集団においてさえ、全ての人が共通の価値観を持つことは難しいものです。例えば立場が違ったりすると(例えば上司とその部下など)、その価値観は大きく異なったりします。
結局こういった環境で集団として機能していくためにはそれぞれの人がある程度妥協して、これならある程度満足できるといった共通の価値観を試行錯誤しながら作っていくしかありません。
しかし、これは全ての人が均等なパワーバランスを持っているときにのみ可能なことです。通常は往々にして立場の違いなどからそのバランスが崩れ、力を持つ人の考えが全体を支配してしまいがちです。
自分は現実的な理想の社会というのは皆がある程度妥協することにより、他の人の考えを尊重する社会だと思っていますが、やはりそのパワーバランスを保っていくことは非常に難しいものです。しかし、それをいかにできるかがその組織を束ねるリーダーの能力ではないかと思っています。
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